宝慶寺の歴史

宝慶寺の由来

 宝慶寺は今から約700年前、寂円禅師によって開かれた。
開山寂円禅師は、中国宋朝の人であり、明州慶元府の太白山天童徳禅寺で、日本から入宋した道元禅師[日本曹洞宗永平寺の開山]とともに、如浄禅師のもとで参学を続けられた。
その後、安貞2年[1228]さきに帰朝し、常に随待した。
 道元禅師ご遷化の後、弘長元年[1261]この銀杏峰の麓に入り、石上に坐禅すること18年。
たまたまこの山奥に遊猟した下野守藤原氏(伊自良氏)が、坐禅される寂円禅師のお姿をみて、帰依尊信の念を起こし、一字を草創して宝慶寺と名付け、請して開山と仰いだ。
弘安元年[1278]伊自良氏の知円沙弥によって七堂伽藍が造立された。
 寂円禅師はますます道元禅師正伝の仏法を宣揚されたが、正安元年[1299]9月13日、93歳で入寂された。

寂円禅師関連年表

西暦 和暦 事項
1200 正治二年 1月2日、道元禅師京都でご誕生
1207 承元元年 寂円禅師、中国洛陽でご誕生。幼年のころより如浄禅師のもとで修行される
12月上旬、道元禅師の母伊子逝去(39歳)
1213 建暦三年 道元禅師、比叡山において剃髪し比丘となる
1221 承久三年 承久の乱起こる(後鳥羽上皇による倒幕失敗)
1223 貞応二年 道元禅師、明全らとともに入宋の旅に出発(24歳)
1225 嘉禄元年 3月下旬頃、寂円禅師と道元禅師が出会う(中国では宝慶元年)
5月1日、道元禅師、天童山景徳禅寺の如浄禅師に初めて想見する
5月27日、明全が天童山了然寮で亡くなる(42歳)
7月2日、道元禅師、初めて如浄禅師の方丈に参ず
1227 安貞元年 道元禅師、如浄禅師より嗣書を授かり天童山を辞す 8月、宋より帰国する
如浄禅師、7月17日遷化(66歳)
寂円禅師、暮れまでに来日、建仁寺に道元禅師を訪ねる
1231 寛喜三年 道元禅師、安養院を開く
1232 貞永元年 道元禅師、この頃波多野義重に初想見か
明恵亡くなる(60歳)
1233 天福元年 道元禅師、観音導利興聖宝林寺(興聖寺)を開く
1234 文暦元年 冬、懐奘が道元禅師に入門する
1242 仁治三年 遊学中の日蓮、道元禅師を訪ねる
1243 寛元元年 比叡の圧迫から逃れ、7月17日、越前国志比庄へ向かい、吉峰寺へ入る
1244 寛元二年 大仏寺を開く
1246 寛元四年 大仏寺を永平寺と改名する(中国の仏教公伝が「永平」年間であることに因む)
この年、蘭渓道隆が来日する
1247 宝治元年 6月、宝治合戦(北条時頼、三浦一族を滅ぼす)
8月3日、道元禅師一行、永平寺を出発して鎌倉へ向かう
1248 宝治二年 3月13日、鎌倉より永平寺に帰る
1253 建長五年 波多野義重の勧めで療養のため京都に向かう
8月28日、道元禅師、高辻西洞院の俗弟子覚念の屋敷でご入滅(54歳)
12月、義雲禅師京都でご誕生
1261 弘長元年 寂円禅師、永平寺下る この頃より坐禅岩での修行を始める
この後伊自良知俊、一宇を建立し寂円禅師はこれを宝慶寺と名づける
1262 弘長二年 11月28日、親鸞京都で亡くなる(90歳)
1274 文永十一年 10月、元が日本を攻撃(文永の役)
1276 建冶二年 24歳の義雲禅師、寂円禅師に入門する
1278 弘安元年 伊自良知成、七堂伽藍の寺を創建する
蘭渓道隆亡くなる(66歳)
1279 弘安二年 寂円禅師、この頃まで休むことなく坐禅岩で修行を続ける
2月、南宋が完全に滅びる
1281 弘安四年 5月、元がふたたび日本を攻撃(弘安の役)
1282 弘安五年 日蓮亡くなる(61歳)
1286 弘安九年 無学祖元亡くなる(61歳)
1299 正安元年 寂円禅師、9月13日遷化(93歳)
義雲禅師、宝慶寺二世となる
1314 正和三年 義雲禅師、永平寺五世となり、寺運復興にあたる