境内のご案内

周辺地図

①総門

総門
禅宗寺院の表門を総門という。参道から境内に入る正門である。山号「薦福山」の額がかかっている。寺号「宝慶寺」は中国の年号からとっている。開祖寂円禅師が、道元禅師と相みまえたのは宝慶元年[1225]であった。
元々の総門は平成24年の大雪のため崩壊したが、有志の方のご芳志や雲水達の托鉢によって平成24年初秋、再建落成された。

②山門

山門
山門は本堂に到るときくぐる門である。
古くは三門といい、三解脱門(空・無相・無作の三門)の略。
優雅な楼門で二階には美しい回縁がついている。正面に額がかかっていて、「日本曹洞第二道場」とある。明治維新のころかかげられたもので、永平寺貫首久我環渓の染筆である。

③法堂

法堂
重厚な屋根の勾配、頂上に置かれた鬼瓦の貫禄は充分である。正面入口の「宝慶寺」の額は、水戸光圀の配慮で来日し、元禄五年[1692]、宝慶寺を訪れた中国僧心越禅師の染筆である。
法堂では法要儀式の厳修、説教、教典の講義などが行われる。法要の主なものは、毎月一日・十五日と国の祝祭日に行う「祝祷」、また、「高祖(道元)月忌」「歴住(歴代住職)月忌」などがある。毎日の法要は「朝課」・「日中」・「晩課」と、一日三回厳修されている。

④仏殿

仏殿
総けやきの堂内、須弥壇に安置する本尊は釈迦三尊である。左右にそれぞれ如浄禅師像、道元禅師像が安置されている。本尊前に獅子二頭が鎮座する。
起源はインドで、仏教とともに日本に伝わって来た。

⑤開山堂

法堂の後方の高台に建ち、長い階段の廊でつながっている。安土・桃山時代作の開山寂円禅師木像、右に義雲禅師、左に曇希禅師の木像を安置する。また、檀越・伊自良氏(藤原氏)の霊、鎌倉幕府の執権北条時頼、室町幕府の将軍足利尊氏の霊も祀られている。

三世曇希禅師像
三世曇希禅師像
開山寂圓禅師像
開山寂圓禅師像
二世義雲禅師像
二世義雲禅師像

⑥僧堂

宝慶寺の僧堂は、明治十六年十二月に焼失した。火事から百年後の昭和六十一年(北野良道師良道大和尚のとき)、法堂を中心に庫院と相対するもとの位置に再建された。落慶法要はこの年十月十六・十七日、大本山永平寺丹羽禅師を拝請し、全国から二百余の寺院、五百余名の信徒が参列して厳修された。
豪華なけやき造り、屋根は銅板ぶきである。総工費一億三千万円は本山永平寺、その他諸寺院の援助、信徒の寄進、修行僧の托鉢による。二百三十平方メートル、永平寺僧堂を模して建てられた。一般参禅者もいつでも受け入れ可能で一度に七十人が坐禅できる。
僧堂は、聖僧(文殊菩薩)を祀るお堂の意味。雲水は僧堂で坐禅し、読経し、講義を聞き、作務を行い、また食事も就寝もする。

法堂からの僧堂
法堂からの僧堂
鮑

⑦庫裡

五十世天山大和尚のとき改修され間口十四間、奥行六間、木造二階建て。正面に伽藍を守護する韋駄天が祀られている。
 庫裡は本来、寺院の台所、食を調整する道場である。一階にはこの他、堂長の寮、食堂、貴賓室などがある。
 二階には畳の部屋が十室あり、来賓や修行僧の居室となっている。宝慶寺では食事も、就寝も僧堂で行われるので、ここは勉強部屋、また休息の部屋として使われている。

⑧薦宝閣(宝物館)

薦宝閣(宝物館)
薦宝閣は昭和47年五十三世道光大和尚によって建てられた。
福井県指定文化財は「道元禅師画像」など五件、大野市指定のものは「知円沙弥寄進状」など七件、未指定のものでは「寂円禅師画像」を含めかなりの数にのぼる。その中でも「道元禅師画像」は重要文化財級のものである。
右の写真は「道元禅師画像」

⑨寂円観音像

寂圓観音像写真
五十世天山大和尚の時、建立された。寂円観音像までの道のりは法堂と僧堂の間を抜けて上り坂を登りきったところにある。
参拝の方は見逃さずに是非とも立ち寄って頂きたい場所だ。
上り坂の風景は厳しい修行中の雲水たちのホッと心が落ち着けるスポットでもある。

⑩義雲杉

義雲杉
宝慶寺の二世義雲禅師の頃、大本山永平寺は一時衰微の極に達したことがあった。義雲禅師は宝慶寺を三世の曇希禅師に譲り、永平寺第五世となり、祖門中興の大業を果たされた。本山の今日あるは、全く義雲禅師の遺徳である。
現在も宝慶寺には義雲杉(大野市天然記念物)があり、永平寺には義雲禅師が植えられた五代杉が、山門の前に鬱蒼と茂っている。

⑪水のみ龍

毛彫り龍
宝慶寺僧堂の天井には、とぐろを巻いている龍の彫り物がある。龍の髭は、長さ45cmも彫り放してある。これは道元禅師が宋から帰国のとき、一緒に来日した玄源左衛門(くろ げんざえもん)という宮大工が彫ったものと言われている。ところがこの龍は夜になると毎晩池の水をのみにきたり、あばれたりするので、村人からたいへん恐れていた。
京都からえらい坊さんがやってきて龍の目にクギを打ちつけてからあばれなくなったと言われている。龍が水を飲んだとされる池は現在も法堂の横に在って、臥龍池と呼ばれている。(現在、毛彫り龍は僧堂の天井に掛かっている。)

⑫牛犬堂

牛犬堂
御開山が入山され坐禅をしていると、どこからともなく牛と犬が来て始終そばを離れず、御開山が托鉢に出られると頭陀袋をかけてお供をし、何か用事があればお使いにも行き、牛と犬は交代で何くれとなくご用をつとめたという。御開山が入寂されるとこの牛と犬も間も無く没したので開山の塔の傍らにこれを葬り塚をこしらえた。
牛と犬の掛けた頭陀袋は宝物として保存されている。

⑬旧橋本家

旧橋本家
宝慶寺の里は、中世以来宝慶寺の門前村として続いてきた。橋本家は門前村の庄屋を勤めてきた家柄でもあり、江戸時代中期18世紀頃に建てられた建築物である。雪国における、木割の太い建築手法が認められて、昭和44年12月、国の重要文化財にされ、大野市に寄付された。市ではこれを宝慶寺山内に移築、往時をしのぶ住宅の再現をみることができた。
平成6年秋に屋根をふきなおし、市では観光を兼ねて古い囲炉裏を活用するため、毎年5月から10月までの日曜と祝日に限り開放して、宝慶寺檀家の人に火の番と見学者への説明役を委託している。